西東京・東久留米・小平・新座から発信する生活情報

わが町のハテナ
 トップページへ戻る  サイトマップ 
わが町のハテナ
昭和病院のナゾ

 小平市内の青梅街道沿いに建つ公立昭和病院(天神町2丁目)。今年、組合設立80周年を迎える、地域の総合病院だ。

  地上9階地下2階建ての南館が新築されるなどさらに拡充し、地域医療の要として、大きな役割を担っている=写真。それにしても、どうして「昭和病院」という名になったのだろうか。

  「昭和時代に造られたから」というのでは、説明にならない。なぜなら昭和時代に設立された病院はゴマンとあり、その大半は「昭和病院」を名乗っていないからだ。

  まずは、昭和病院に聞いてみた。

  が、「昭和時代に設立されたからでは?」とのお返事……。これでは記事にならないので、関係する自治体の市史や同病院が1977年に発行した「公立昭和病院50年のあゆみ」などを読み込んだ。

 結果、この病院が、昭和天皇の即位を記念した事業として進められたことが明らかになった。

  昭和天皇の父、大正天皇は1926年に崩御、ただちに当時の皇太子が後継となったが、正式な即位は、1928(昭和3)年11月のこと。

  この年に当時の田無町のほか保谷、小平、東村山、久留米、清瀬、東大和、武蔵野、国分寺の各村が共同で組合を設立し、伝染病専門として翌年に「北多摩郡昭和病院」として開業したのが、現在の昭和病院だ。

  このころ、「東京は伝染病の本場、世界第一の都市」(「東京百年史」)とさえ言われ、コレラや腸チフスによる伝染病死者数が年間1500人にも上ったという。

  木造2階建て、病床数51の専門病院として開業した同病院の建設費は、用地買収を含め約7万円。当時田無町と保谷村の年間予算の合計(約8万円)に匹敵する大事業だった。

  費用の3分の2は起債でまかなわれたが、昭和天皇の即位を記念して数百万円が、全国の自治体にバラまかれたとの記録もあり、これが昭和病院設立の財源となったとしてもなんら不思議はない。

  ちなみに、同病院の母体となる組合を構成していた町村のうち、国分寺を除く8町村は、田無署の管内であった。

  これは、当時の伝染病対策を担当した行政機関が、保健所や町役場ではなく警察署だったためで、同病院の設立に尽力したのが田無署だったからだという。

  その後、組合を構成する自治体も変わり、田無署の管轄も西東京市と東久留米市だけとなったが、「昭和病院」の名は、末永く引き継がれていくことであろう。


編集4
 お店の情報
食べる
・和食・・各国料理・ラーメン・中華料理・焼肉・喫茶・甘味・ファーストフード・持ち帰り・宅配・食品店
おしゃれ
・エステ・化粧品・美容院・理容室・クリーニング屋
ファッション
・衣類・はきもの・かばん・小物・宝飾品
健康
・病院・治療院・健康食品・薬局・メガネ・コンタクト・補聴器・介護
住まい
・住宅・エクステリア・インテリア・家具・ガス・電気・水まわり
くらし
・電話・放送・便利屋・代行・IT関連・保険・組合・金融・保育・書籍・文具・写真・印刷
クルマ
・自動車・オートバイ・自転車・運輸・駐車場・車検
ペット
・ペットショップ・病院・東京都動物愛護相談センター

・商店会・スーパーマーケット・リサイクル・ディスカウントショップ・コンビニエンスストア
まなぶ
・幼児教育・語学・音楽・ダンス・踊り・パソコン教室・スポーツ・カルチャーセンター・学習塾・家庭教師・自動車教習所・幼稚園・学校
調査・相談
・法律相談・結婚相談・興信・探偵
冠婚葬祭
・寺院・神社・結婚式場・葬儀屋・衣裳・墓地墓石
あそぶ
・スポーツ・旅行・チケット・ゲーム・温泉・銭湯・お出かけガイド・占い
こちらのページに掲載ご希望の方はお問い合わせください。
042-462-6005


Copyright (C) 2006toukoutsushin. All Rights Reserved