東久留米で市民団体が開催
主催したのは、東久留米市の市民団体「前沢・南町九条の会」で、事務局長の矢澤健司さん(65)によると、2006年1月の発足以降、東京大空襲・戦災資料センター(江東区)を訪ねる企画などを続けている。
今回は、牛田さんの講演会を昨年に開催したことから、実際に市内を歩いて戦争遺跡を検証することにしたという。初めての試みだが、口コミやインターネットで情報を知った人たちが集まり、中には青森県から参加した人もいた。
現在は遊歩道に
午前9時すぎにひばりヶ丘駅を出発した一行は、まず西東京市谷戸町の(有)岡田食品加工の社屋を見学。
ここは、戦中に中島飛行機武蔵製作所(武蔵野市)で造られた戦闘機用エンジンを試運転する工場で、同製作所で現存する数少ない建物だ。
その後、東久留米市の「たての緑道」を散策。これは、軍需用の鋳物工場で、現在の住友重機械工業の敷地にあった中島航空金属田無製造所に砂を運ぶため、東久留米駅と結ばれていた引き込み線の跡だ。軍命令で住民の土地を強制的に取り上げ、多くの朝鮮人労働者を使って1944年に建設されたという。
また、同市学園町の自由学園では、戦中に軍需工場として使用された女子部体操館や、勤労動員中に米軍の空爆で亡くなった学生らを慰霊する石碑などを見学し、東久留米駅までの道のりを歩いた。
空襲招いた工場
牛田さんは、国内一の生産量を誇った中島飛行機武蔵製作所の存在が、多摩地域への空襲につながったと説明する。
東久留米の農村地帯に数多くの爆弾が投下された45年4月2日の空襲も、中島飛行機を狙った空爆の余波による。夜間だったこともあり、同工場を特定できなかった米軍機が、やみくもに250キロ爆弾を投下したことが、戦後に公開された米政府の公文書などから推測できるという。