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西東京市出身

李 忠成
 2007年11月17日、ベトナムの首都ハノイ。男子サッカーU22(22歳以下)日本代表チームが、北京五輪出場へ大きく前進する結果となった試合で、先制点と2点目を挙げたフォワードが、西東京市に生まれ育った李忠成選手(22、柏レイソル)だ。地元のJリーグFC東京のユースチームを経てプロ選手になった彼は、18歳のときに韓国代表候補に召集された経験をもつ。「2008年を、本当の意味での飛躍の年にしたい」と語る22歳の素顔に迫った。          【取材記者・木瀬貴吉】


  「小学生のころは無邪気に、韓国と日本の両方の代表チームを応援し、どっちの代表でもプレーしたいと思っていた」という在日コリアン4世の李選手が、日本国籍の取得を申請したのは、2006年9月だった。

  プロ入りした04年には、19歳以下の韓国代表候補に選ばれ、憧れの赤いユニホームに袖を通した。代表メンバーには残れなかったが、自分の力が韓国でも通用することを確信した。

  しかし、その後、FC東京から柏レイソルに移籍し、Jリーグの公式戦にコンスタントに出場するようになったころ、韓国籍からの変更を真剣に考え始めた。
  「日本に生まれ、日本が大好き。これからも日本で生活していくと再認識した結果」だが、ブラジル人らの帰化とは違い、日本と韓国の間には歴史的な問題が横たわる。また、家族は全員が韓国籍のままだ。それでも決心したのは、「『お前が決めたことなら』と家族が後押ししてくれたから」だという。


  選択した名前

  帰化申請にあたって、最も考えたことは、氏名をどうするかだった。

  李選手は、4歳で西東京市南町の私立こみね幼稚園に入園し、在園中から小学6年まで「こみねFC」でサッカーを続けた。そのころの友人は、いまも当時の通称名で「大山君」や「忠成(ただなり)」と、親しみをこめて呼ぶ。

  一方、6年間通った東京朝鮮第九初級学校(杉並区)では、本名の「リ君」または「チュンソン」と呼ばれてきた。

  「なんと呼ばれようと気にならなかった。おれはおれだし、大山もチュンソンも自分の名前だと思っていた」が、日本国籍を取得するにあたって、もう一度、自分自身を顧みた。その答えが、両親が名付けてくれた「李忠成(イ・チュンソン)」を日本風に読む「り・ただなり」だった。通称名の大山などいくつもあった候補から“自分が選択した名前”だ。


  3倍の期待

  帰化が認められた直後の07年3月には、U22日本代表に召集され、在日コリアンであることを公言していた選手が、日本代表として初めてオリンピック予選を戦うことになった。
  戦後、日本がオリンピックに復帰した1952年のヘルシンキ大会から50年以上を経ての画期的な出来事だ。

  しかし、「親や祖父の時代には考えもしなかったことで、いまの時代に生まれたことが幸福だった」と、自分の力だけで成し遂げたことではないという。と同時に、「日本人に生まれた選手たちは日本国民から応援される。しかし、自分は日本人からも、韓国人からも、そして在日からも応援される。ほかの選手の3倍の期待にこたえたい」と本大会にかける思いは並々ならない。


小学生の大会でドリブルする、こみねFC時代の李選手(手前右


  「いい子」の面影 


  こみね幼稚園の園長で、こみねFCでの李選手を指導してきた小峰和美さんは、「本当にいい子だった」と振り返る。「ただし、どんなことにも自らチャレンジでき、そして責任感の強い子という意味で」と話す。

  小峰園長が回想する姿は、現在の李選手の言動からも垣間見ることができる。

  韓国代表候補にもなった04年だが、Jリーグでは出場機会がなく、本人にとって「人生で初めての挫折だった」という1年を過ごした。その翌年に柏レイソルへ移籍することになったが、「その判断が正しかったかどうかは、まだ分からない」としながら、「ただ、まったく知らないチームへの移籍にチャレンジできたのは良かったこと」と言い切る。

  また、昨年末のある日、柏レイソルの練習に遅刻したことがあった。5分ほどの遅刻で、その前日は深夜におよぶテレビ出演があったため、誰も責めはしなかった。が、監督に「今日は走ります」と伝え、150m間隔のダッシュとジョギングを2時間近く黙々と続けた。結局、その日は一度もボールを触らずに練習を終えた。「遅刻した自分が許せない」という理由からだった。


  サッカー教徒

  20歳前後といえば遊びたい盛り。しかもJリーガーは一般的な同世代より多くの収入を得る。

  が、「サッカーのためにならない遊びは好きじゃない」と言い切る。小峰園長も、「幼稚園のときから、とにかくサッカーが好きだった。練習が始まるずいぶん前にやって来て、練習後もずっとボールをけっている。真っ暗になっても帰らないので、『早く帰れ!』と怒鳴ったことは一度や二度ではない」という。

  そんなサッカー好きの心を支えているのが、「どんな練習でも手を抜くな。そうすればサッカーの神様が必ず見ていてくれる」と、叱咤(しった)してくれたFC東京時代のコーチの言葉だ。

  試合に出られない中での練習は精神的にもつらかったが、どんなにきつい長距離走でも、あと10m、あと1mで手を抜かないことで、「いつかサッカーの神様は勝利の女神となって微笑んでくれる」と信じることにした。
李忠成(り・ただなり)

1985年12月19日、旧保谷市生まれ。田無駅南口の焼き肉店「モランボン」を経営する在日コリアンの家庭に育つ。柳沢中、田無高校を経て、2004年にFC東京とプロ契約。翌年、柏レイソルに移籍し、左利きのFWとして活躍。リーグ戦の通算成績は、69試合、18得点(J1、J2含む)。U-22日本代表では、9試合で4得点。身長182cm、体重74kg。

  いまでは、自らを「サッカー教の信者ですよ」と笑う若武者は、07年の活躍にも決して満足していない。

  「日本代表の青いユニホームを着て、オリンピック予選を突破したけれど、まだホップかステップの段階。今年こそ本当の意味でジャンプする飛躍の年にしたい」と意気込む。




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